眠気と戦いながら記事を書いてみる~近眼な私の幼少期のあがき

物心ついたときにはすでに近眼だった。

小学生になり、視力検査をした段階で、両眼とも0.5程度だったように記憶している。

なぜインドア派だったのかは定かではないが、鍵っ子(死語)で一人で留守番していることが多かったので、ヒマつぶしに少し年の離れたの姉がかつて読んでいた「少年少女世界の文学」を読みふけってみたり、年相応にジャンプやサンデーや花とゆめなども愉しんでいた。

ずーっと床に寝そべって本とマンガを読んでいた。夜になっても薄暗い照明で読書していたので、母からは「目が悪くなる」と度々注意されたが、まったくもって言う事を聞かなかった。

だからなのか生まれつきなのか(姉妹も近眼)定かではないが、恐らく裸眼1.0以上は体験はしたことがないのではないかと思う。話はそれるが子どもの頃は飛行機のパイロットになりたかったので裸眼1.0未満で一発アウトである(当時)。それ以前に性別で無理だった訳だが(当時)。

閑話休題。

それでも小学校低学年から中学年あたりまでは、まだパイロットへの夢が燻っていて、今となっては微笑ましいのだが「読むと視力があがる本」なるものを買って来て一生懸命読んでいた。どのようなメソッドだったのかはわからないが、サイズや向きがバラバラなフォントを使った例文がやまほどあった。抜粋のしかたが、国語教科書の長文みたいな感じだ。

よし、これで視力アップだ!と意気込んで開いたらいきなり太宰である。太宰であった。太宰がアンブッシュしていたのである。小学生のテンションだだ下がりである。よりによって冒頭から。

恥の多い生涯を送って来ました。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。

引用: 太宰治『人間失格』(1948年).青空文庫.2019年4月28日閲覧.

待っていきなりそれはやめて。しかも妙に極太フォントで。これはいかんとグッドバイな人をスキップしていくと、夏目漱石のお出ましである。当時の私的には『我輩は猫である』『坊ちゃん』のイメージばかりで、「よしこれは多少愉快に視力アップ…」と思ったらなんだかまたダウナーなセレクションであった。確か草枕だったような気がする。気がするというのはたまらずスキップしたからよく覚えていない。

『走れメロス』は前掲の文学全集と姉の宿題を横からのぞいていたので学習済みだからセーフセーフ。なんとかこなして次へ進む。

そしたら『斜陽』が立ちはだかる

なにこの視力回復本。いたいけな小学生を玉川上水ルートに誘ってどうする。その後も「そのセレクション、視力回復に関係あるんですか?」とツッコミたくなるような、一方である意味お好きな方にはたまらないよりぬき近代日本文学ラッシュで参ってしまった。自分で「視力よくなるって書いてあるから〜」と親にねだった手前、放り出すのも難しい。

小学校の休憩時間に遠くの山に焦点を合わせてなるべく長時間眺めるという訓練?もしたもののの、あまり功を奏さず、今は両眼ともに0.03〜0.04で下げ止まっている。

あの時暗所で長時間読書していなければあ…

と後悔することは実はあまりなく、なんとかやっています。下げ止まってるし…

あの謎の視力回復本、また見たいなぁ。探してみよう。

似た系統で、高校時代に飛躍的に古文の成績があがった非・正統派な参考書(お父さんお母さんには見せられない尾籠なネタ満載)を、数年前なんとか思い出して探し回って古書で購入した。尾籠っぷりを知らず、その参考書で成績が爆上げしたことだけ知っている両親が、甥っ子に貸すよう言ってきたが、中身が中身なんで見せられませんなぁ。それとジョークや芸能ネタが古すぎて平成生まれには厳しかろうということで私の手元で寝かせてある。

まあなんだかんだ、探求がすすむのは尾籠なところからですよね常にね人間ってそういうものよねBELOW万歳!

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